NO YOGA NO LIFE

ヨガやフラワーエッセンス、アロマテラピーなど自然療法に興味があり、心と身体のバランスを取る方法などを紹介していきます。また自然や動物と暮らす中で感じる事なども綴っていこうと思います。

共依存

こちらも昨日の話の続きです。共依存の話。以下ウィキペディアより引用。

共依存(きょういそん、きょういぞん、英語Co-dependency)、嗜癖(きょうしへき、Co-addiction)とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態(アディクション)を指す[1][2][3]。すなわち「人を世話・介護することへの依存」「愛情という名の支配」である[4]共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平安を保とうとする[5][3]

昔からアダルトチルドレンであるんだろうなということは気づいていましたが、ヨガに出会ってからは心理学の限界を感じ必要を感じたことはなかったのと、この共依存という世界に今まで出会わなかったので、今本や仲間とのやりとりを通してここまで私に似た境遇の人たちや心を代弁してくれた人が見つかったことに驚きを感じています。

このサポートグループでは12ステップと呼ばれるワークを行なっていきます。この共依存のワークはやり始めたばかりですが、過去を振り返る必要があり、自分が間違えていたことも突きつけられるのでとても心が痛い作業です。

自分が今まで他人に対して行なってきたこと、世間に対して「正しい」と思い続けてきたことなどの見方がガラリと変わります。まさか、自分に非があるとは認められませんでした。そこが怖い部分なのですね。依存とコントロールです。主人も共依存なのだと思います。小さな頃から私も主人も機能不全の家庭に育ち、お互いに一人では生きていけない者同士だった気がします。

ある意味、私は主人をコントロールしようとしていました。どこかでいつも主人がいつかこうなったらと暗の期待を持ってきた。若い頃は露骨に見下した時もありました。そのままの主人を愛せず、良い部分だけの彼でいて欲しかった。彼が怒ると私は震え上がり、傷ついて、彼をなじりました。私はいつでも被害者でした。彼の弱さや怠惰なところがいつも私の怒りを引き出す存在で私は悪くないと本気で思っていました。相当エゴイスティックな人間です。

不便な外国で休まず仕事をして、厳しい状況でも周りに優しく接するように努力をしてきた、二人のために、世界のために色んなことに変えようとしてきた、なのに彼は感謝しない、私を尊重しようとしない、楽なことばかりしようとする、何かあれば仕事に逃げて家庭を顧みない優しさの薄い人だって思っていました。喧嘩をすれば、いつもこう思っていました。頑張っても頑張っても認めてもらえないという絶望感に苛まれていました。これは小さな頃から変わっていません。努力しなければ許されない家庭環境でしたのでそのパターンを長い間ひきずってました。

ですが、自分が状況や人をコントロールしていることに私は何年か前から気付き出したのですが、どうやってタガを外すかを見つけられませんでした。瞑想はその瞬間、手放すことができ、自分の中心に戻ってこれる素晴らしいツールです。でも喧嘩のきっかけが起こると台無しになるという繰り返しでした。それに一人でやることに限界を感じてました。何事においても「続ける」という行為はパターンを変えるのに有効なのでサポートグループは今の私には最高の場所でした。

主人と喧嘩して罪悪感と劣等感に見舞われると周りの人がキラキラ見えて私はいつまで経っても成長できない自分に苛立ち、そんな自分がヨガの先生になりたいといってるのを恥ずかしいとすら思いました。なので、今はこんな私でもオッケー。と心から言える練習をするのが当面の課題。

私はどこかでこんな情緒が不安定な私でも受け入れてくれる人や社会を作ろうとコントロールしようとしてきたのかもしれない。迷走中だなあ(苦笑)

 

CO-DEPENDENTS ANONYMOUS (English Edition)

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