ブログを再開します
もう2年以上もほったらかしにしていたブログを再開することにしました。ブログを休止するというお知らせもしなかったのはいつかまた書こうと思いながら気になってはいたものの他の事に忙しくなり中々ブログを書く時間を作れなくなってズルズルと時間が過ぎてしまいました。
今後は時間のある時に自分のペースで描きたくなったら身構えずに気楽に考えて書いていこうかなと思っています。それから今も相変わらず自分のペースで日々ヨガは続けていますが興味の範囲がヨガだけでなくエネルギーワーク全般になってきてるので最近はまっているクリスタルやヒューマンデザインとか 色んなヒーリングワークを混ぜながら書いてみたいなあと思ってます。また興味があれば宜しくお願いします。
ブログを再開します
もう2年以上もほったらかしにしていたブログを再開することにしました。ブログを休止するというお知らせもしなかったのはいつかまた書こうと思いながら気になってはいたものの他の事に忙しくなり中々ブログを書く時間を作れなくなってズルズルと時間が過ぎてしまいました。
今後は時間のある時に自分のペースで描きたくなったら身構えずに気楽に考えて書いていこうかなと思っています。それから今も相変わらず自分のペースで日々ヨガは続けていますが興味の範囲がヨガだけでなくエネルギーワーク全般になってきてるので最近はまっているクリスタルやヒューマンデザインとか 色んなヒーリングワークを混ぜながら書いてみたいなあと思ってます。また興味があれば宜しくお願いします。
仲間の存在
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。このところ気温のアップダウンが激しく、今日セーターが必要かと思えば次の日はTシャツで過ごせるような気候がここ2週間ほど続いています。
主人の風邪がうつってしまい1週間ほど体調を壊していましたが、昨日から邪気が体から出ていってスッキリしました。風邪はよほど仕事で人手がない時など以外は基本的に薬で押さえたくないので、体を休めて寝込むようにしています。そうすると自己治癒力が働いて体が自然に治っていくので変に長引きません。
最近いろんなことが現実化していってて、いい方向に進んでいるのでこの波にうまく乗りたいなあと思っています。
今までなら気づかなかった色んな思いや見方が出てきて、自分の弱さに気づいたんです。そしてその弱い自分でもいいんだよ、そこから始めればいいじゃないかっていってくれる仲間ができました。
ずっと長い間色んなセラピー関連の本を読んで「そのままの自分を受け入れる」とか「自分を愛する」ってことがキーなんだってことは知っていたのですが、それをするにはどうするかってところが良くわからず、マニュアル的に書いていてもそれをしたからできるようになったかといえばそうではなかったんですね。
いつもどこかで自分を信じきれないわけです。でもそれを人から言ってもらえたらすごく気が楽になります。特に自分と同じような境遇というか、育ち方をした人から言われると説得力があるんです。
本に書いてることはある意味コミットしなくても済みますよね。よく失敗したら心のどこかでこの人は私とは違う種類の人だからできる素質があるんだという風に思っていました。それが、実際人が集まってみんなでやるとあの人ができるんなら私もできるって思える、、、そんな場のエネルギーというのがあるので私にはそれが必要だったみたいです。
「私はできない」って弱みを見せること。これはアメリカでは非常に難しいです、少なくとも私には!社会にはやられる前にやれって感じの空気感があるし、周りの人に弱みを見せないように叩き込まれました。すぐに訴訟されるから何でも余計なことは言わない、見ない、関係ない。ってな具合で扱われるので「できない」人がいても助けて何かあったら嫌だから無視する、、そんな感じです。仕事なんかでも「できません」って言える所はなかった。家族もうちは旦那が自信家で人の気持ちがあまりわからない人だからか、あまり分かり合える感覚がなかった。
こんな環境なので「今は○○ができないけど、それでも前を向いて歩こう」って一緒に歩ける友達や仲間が増えたことは本当に嬉しかった。これはお金で買えることじゃない。出会いって、やっぱり師に巡りあう時と同じでちゃんと神様が最高のタイミングで用意してくれる気がする。神様、ありがとう!!
共依存
こちらも昨日の話の続きです。共依存の話。以下ウィキペディアより引用。
共依存(きょういそん、きょういぞん、英語: Co-dependency)、共嗜癖(きょうしへき、Co-addiction)とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態(アディクション)を指す[1][2][3]。すなわち「人を世話・介護することへの依存」「愛情という名の支配」である[4]。共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平安を保とうとする[5][3]。
昔からアダルトチルドレンであるんだろうなということは気づいていましたが、ヨガに出会ってからは心理学の限界を感じ必要を感じたことはなかったのと、この共依存という世界に今まで出会わなかったので、今本や仲間とのやりとりを通してここまで私に似た境遇の人たちや心を代弁してくれた人が見つかったことに驚きを感じています。
このサポートグループでは12ステップと呼ばれるワークを行なっていきます。この共依存のワークはやり始めたばかりですが、過去を振り返る必要があり、自分が間違えていたことも突きつけられるのでとても心が痛い作業です。
自分が今まで他人に対して行なってきたこと、世間に対して「正しい」と思い続けてきたことなどの見方がガラリと変わります。まさか、自分に非があるとは認められませんでした。そこが怖い部分なのですね。依存とコントロールです。主人も共依存なのだと思います。小さな頃から私も主人も機能不全の家庭に育ち、お互いに一人では生きていけない者同士だった気がします。
ある意味、私は主人をコントロールしようとしていました。どこかでいつも主人がいつかこうなったらと暗の期待を持ってきた。若い頃は露骨に見下した時もありました。そのままの主人を愛せず、良い部分だけの彼でいて欲しかった。彼が怒ると私は震え上がり、傷ついて、彼をなじりました。私はいつでも被害者でした。彼の弱さや怠惰なところがいつも私の怒りを引き出す存在で私は悪くないと本気で思っていました。相当エゴイスティックな人間です。
不便な外国で休まず仕事をして、厳しい状況でも周りに優しく接するように努力をしてきた、二人のために、世界のために色んなことに変えようとしてきた、なのに彼は感謝しない、私を尊重しようとしない、楽なことばかりしようとする、何かあれば仕事に逃げて家庭を顧みない優しさの薄い人だって思っていました。喧嘩をすれば、いつもこう思っていました。頑張っても頑張っても認めてもらえないという絶望感に苛まれていました。これは小さな頃から変わっていません。努力しなければ許されない家庭環境でしたのでそのパターンを長い間ひきずってました。
ですが、自分が状況や人をコントロールしていることに私は何年か前から気付き出したのですが、どうやってタガを外すかを見つけられませんでした。瞑想はその瞬間、手放すことができ、自分の中心に戻ってこれる素晴らしいツールです。でも喧嘩のきっかけが起こると台無しになるという繰り返しでした。それに一人でやることに限界を感じてました。何事においても「続ける」という行為はパターンを変えるのに有効なのでサポートグループは今の私には最高の場所でした。
主人と喧嘩して罪悪感と劣等感に見舞われると周りの人がキラキラ見えて私はいつまで経っても成長できない自分に苛立ち、そんな自分がヨガの先生になりたいといってるのを恥ずかしいとすら思いました。なので、今はこんな私でもオッケー。と心から言える練習をするのが当面の課題。
私はどこかでこんな情緒が不安定な私でも受け入れてくれる人や社会を作ろうとコントロールしようとしてきたのかもしれない。迷走中だなあ(苦笑)
CO-DEPENDENTS ANONYMOUS (English Edition)
- 作者: CoDA
- 出版社/メーカー: CoRe Publications
- 発売日: 2012/03/09
- メディア: Kindle版
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夫婦問題のツール
明けましておめでとうございます。、、、随分と年が明けてからのご挨拶になってしまいましたが皆様は良いお正月休みを過ごされましたでしょうか?今年も皆様にとって一段と飛躍し健康と幸せに満ちた一年となりますように。
さて、私個人としてはクリスマスからお正月にかけて今年は中々辛い時間を過ごしました。今日のブログは長く、重い話になるので先は読みたい方だけ読んで下さい。
クリスマスにちょっとしたことから主人と喧嘩になり別居中です。今までの結婚生活でも喧嘩はありましたし、離婚を時々考えることもありました。それでもその都度お互いを許しあって仲直りをしてここまでやってきて、限界を乗り越えてきました。が、今回はどうなるか分かりません、、、。
いつも夫婦間の気持ちの行き違いなど辛いことがある度に私は彼を許せるように、状況を乗り越えられるようにヨガを実践することで心をオープンの状態にしたり、見捨てられた気持ちや行き場のない憤りの気持ちを癒すようにフラワーエッセンスを使ったり、エッセンシャルオイルを使って助けてもらってきました。できることなら結構なんでもしました、彼にあるがままで降参する以外の全てを使って。感情の痛みはを怒りで表現しても涙を流しても、何をやっても彼に伝わりませんでした。むしろ逆効果です。
そうやって色々やったとしてもこのパターンから抜け出せない、変わらないということに薄々気付き出した頃、ドリーン・バーチューの本を読んでいた時に私の声を代弁する箇所が出てきました。サポートグループのウェブアドレスが載っていてどうやら近所でサポートグループがあるようなので行ってみることにしました。それが共依存グループ(Coda)でした。それ以来ミーティングに参加するようになりました。キリスト教の教えがベースのようで少し疑問が残るところはありますがやってみないことにはなんとも言えませんし、みんな来てる人優しい人ばかりなのでとても居心地がいいです。インターネット上ではなく実際に話すことができて、改善しようとする場のエネルギーはこんな変なのは私一人じゃないという希望をもらえます(笑)。
アパリグラハ
↑今日もランチョンマットの上で昼寝を満喫のウィロちゃん。最近むくむくすぎて熊っぽい。
このところ物欲が酷くて、頭の中で『アパリグラハ』を考えていました。アパリグラハとはパタンジャリのヨガ・スートラの中に出てくる八戒の一つで、貪らないこと、むやみやたらに欲を出さないことなどの意味があります。言うのは簡単、でも実行するのは私にとっては至難の技。
アメリカではサンクスギビングが終わってからブラックフライデーそして翌週のサイバーサンデーまでどの小売店でも売り込み商戦が始まるので、一斉に値引きのメールが送られて来たり、毎年買わなきゃ損と言った空気が町中に流れることもあって財布の紐が緩みっぱなし。ヨガウェアに始まり下着や洋服、化粧品などなど、、、とにかく今は女らしくなりたいようです(ミドルエイジ・クライシスでしょうな笑)。消費大国アメリカに染まってしまった私は自己嫌悪しつつ、一つを買うと他のものが欲しくなり、その欲しい気持ちというのはどれだけ買っても満足することはないということをとことん知ってるにも関わらず、それでも綺麗なものを見ると欲しくなって、何とかして手に入れたいという欲望が出て来てしまいます。しっかり者の夫がいることで全部を買うのを止め、我慢できているところがありますが、きっと夫がいなかったらいつまでもお金を貯められない人間になっているに違いありません。
我慢ではない、中庸の道を歩けるはずだと思いたい。瞑想してもわかるのだけど、ここは手放すのがなかなか難しい、私の課題です。自分の手元にあるもの、私のところへ集まってくれた者達を改めて感謝の気持ちを持ちつつ、大切に使うことで“足るを知る”意識を培っている、それが今できる精一杯かな、、、。
Leuchtturm1917の5年日記
先月の誕生日に日記帳を買いました。日本の実家だと駅前に行けばその辺で良質のものが買えるのでネットで探すというところまでは至らないのですが、アメリカは日本と違い、なんせデジタル化が進み「質より量」のこの国では良質な紙製品はなかなか巷には出回ってません。
それに私が欲しかったのは、少し特殊な10年日記。母が昔使っていた石原10年日記が欲しかったのだけど送料を考えて断念し、こっちで同様のものがないかチェックしてたらこちらには10年日記が少ないんですね。結局5年日記の方がデザインもいろいろあることがわかり、その中でレビューの高いドイツのロイヒトトュルムが作っている5年日記をアマゾンで買いました。これが大正解でした。
この出会いがあって紙製品やペンの世界が一気に広がりました。この世界の良さを追求したくなってしまいお金がいくらあっても足りません(笑)。そのくらい普通の文具との差を感じる紙や使い勝手のクオリティーです。ペンが滑らかに走るので書くのが楽しいし、文字が綺麗に見えます。これに味をしめて、次はバレットジャーナル用にドットの入ったA5のノートが欲しくなりました。たくさんの色が揃っているのでどの色にするか、迷ってしまいます♪
皆さんはもう来年の手帳を買いましたか?日本の手帳は進化してて良いデザインや可愛いものがたくさんありますね。去年はわざわざ日本から取り寄せましたが、今はバレットジャーナルにはまっているので来年の手帳は手作りになりそうです。(ここで売られてる手帳は何故かマンスリーのみかウィークリーのみのタイプがほとんど。両方欲しい私のニーズを満たすものがないんです。)
先日図書館でバレットジャーナルのワークショップがあったので参加した時のこと。講師の彼女はダイアリーやトラベルジャーナルを手作りで作り続けるベテラン。その彼女が今年は手作りが面倒なので優秀な「ほぼ日手帳」を取り寄せたというのです。「I got Hobonichi.」というので、ほぼ日とは糸井さんのウェブサイトとしか知らない私はそんな手帳があるのを知らず「!??」となっていたのですが、帰ってきてウェブサイトを覗くとかなりの人気だと知って私も欲しくなってしまいました。それにアメリカ人でかなり手帳作りをしてきた彼女が行き着いたのが日本製だと知って、それも嬉しくなりました。ちなみにアメリカでは塗り絵も流行っています。
(関連のウェブサイト。ご参考になさってみてください。)